アグロサイエンスの道を歩んで(8)


農薬合成研究の道へ−田村研究室の思い出(2)−

私が田村先生から与えられた研究課題は、ピリダジン誘導体の合成研究であった。ピリダジンは、ベンゼン環上の 隣り合う2個の炭素原子が窒素原子に置き換わったもので、当時農薬としてはほとんど研究されていなかった。唯一、タバコのわき目 防止剤として用いられていたマレイン酸ヒドラジッド(MH)がピリダジン誘導体であった。事実、ピリダジン化合物についての文献 検索を行ったところ、サルファ剤など薬理活性を調べる目的で合成されたものがほとんどであった。そこで、当時知られていたジフェ ニルエーテル系除草剤の構造に着目し、2個のベンゼン環の1個をピリダジン環に置き換えたフェノキシピリダジン化合物を合成し、 除草活性を調べることにした。

幸いなことに、当時研究室には農薬企業から派遣されていたK博士がいた。K博士は、東大理学部生物学科の出身で、 植物の専門家であった。早速、除草活性を調べるための簡単な検定法を開発してくれた。それは、ダイコン、ヒエ、ソバなどの種子をシャ ーレに蒔いて薬液を処理し、発芽阻害の程度をチェックし、その後シャーレにバーミキュライトを詰めて植物の生育阻害度を評価するとい う方法だった。

検定法ができたので、私は合成の仕事に専念することになった。高校時代に夢見たことが現実のものとなったのであ る。自分で化合物をデザインし、それを実際に合成するという喜びを味わうことができた。天然物のように複雑な構造の化合物ではない が、「この化合物を手がけているのは世界中で自分だけだ」という自負があった。このようにして私は数多くの化合物を合成し、K博士に 手渡した。博士は、自分の研究の合間を縫って除草活性を評価してくれた。

除草活性の評価は、農学部の敷地内にある温室を借りて行っていた。ある日、K博士から、「面白い結果が出た から見に来るように」との電話あったので温室に駆けつけた。ずらりと並んだシャーレの中で、ヒエや広葉植物が目立って枯れているも のがあった。それは、3−フェノキシピリダジンという化合物で処理されたシャーレであった。そこで、この周辺の化合物を多数合成し、 除草活性を評価して貰った結果、最強の化合物、3−(2−メチルフェノキシ)ピリダジンに到達した。この化合物は、その後会社で 水稲用除草剤としての開発が進められ、マツバイなどの難防除雑草に有効なことが判明し、商品化された。しかし、残念なことに、特に 漏水田において、この化合物を施用されたイネに薬害が出易いことが分かり、発売から2,3年で市場から姿を消すことになった。

私達は、当時除草剤研究の第一人者であった宇都宮大学農学部の竹松哲夫先生に、この化合物を含めて周辺化合物 の生物活性を調べて頂いた。その結果、この化合物は、ナス、トマト、ピーマンなどのナス科作物に選択性を持つことが分かった。そこで、 会社は、ナス科作物用の除草剤としても登録申請し、市場導入した。又、米国では、農薬企業2社がこの除草剤に興味を抱き、トウモロ コシ、ワタなどの除草剤として実用性を検討した。しかし、除草剤の土壌中での分解が遅く、後作に薬害が発生する恐れがあり、結局 商品化は見送られた。しかし、米国企業との共同研究のお陰で私は渡米のチャンスを与えられ、生まれて初めて英語で講演したり、外国 人技術者とデイスカッションする機会に恵まれた。米国に行く前は、果たして自分の英語が通用するのか不安だったが、会社の米国駐在 員のサポートもあり、無事乗り越えることができた。その上、2,3の大学の研究室も訪問し、農薬の専門家と交流することができた。

余談であるが、私が当時住んでいた鎌倉に、ラジオ英会話で有名な長崎玄也氏が住んでおられた。そこで、知人の 紹介で氏から英会話の個人レッスンを受けた。渡米前の僅か1ヶ月ほどの短い期間であったが、氏の特訓で日常会話は一応話せるように なった。後年、私は米国留学の機会を与えられたが、この時の経験が大いに役に立った。長崎氏は、海外渡航の経験が全くないのにネイ テイブ並みの流暢な英語を駆使していた。氏は、在日本の米軍基地に勤務している間に英語を学んだそうである。ずっと後になって、アル ク社の英会話教材「ヒアリングマラソン」を聞いていた時、懐かしい長崎氏の声が聞こえてきた。

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