| アグロサイエンスの道を歩んで(9) |
私が田村研究室で過ごしたのはおよそ2年半であった。短い期間ではあったが、私にとっては貴重な経験を積み重 ねることができた。中でも、田村先生を始めとして研究室のスタッフには研究者としての道を手ほどきして頂いたことがその後の私に とって大変役に立った。大学の専門課程での卒業論文で研究のイロハを教わったが、半年という期間は余りにも短かった。田村研究室 で仕事をするようになって先ず教わったのは、研究とは自分で切り開いていかなくてはならないこと、多少の挫折はあってもそれを自分 で乗り越えていかなくてはならないことである。あるテーマを与えられた場合、それを生かすことができるかどうかは研究者自身にかか ってくる。
私が与えられたテーマは、ピリダジン化合物の農薬としての展開であった。しかし、最初はどのようにしてとり かかったらよいのか迷った。教授との話し合いで、先ず医薬品領域でのピリダジン関連の研究報告を集めること、次に既存の農薬の化学 構造を解析し、それを参考にしながらピリダジンの誘導体展開を進めることになった。そして、ジフェニルエーテル型の除草剤の構造 をピリダジンの化学に取り入れることになったのである。このような手法は、現在では農薬の合成研究者にとって当たり前のことである が、当時は未だ余り見られなかった。
合成研究者にとっては、化合物のデザインと共に実験技術の研鑽も極めて重要であった。例えば、クロマトグラフ ィーや再結晶による化合物の精製である。幸いにして、研究室の助手で、後に農薬企業に転進されたK博士にこれらのテクニックを教わる ことができた。K博士にかかると、固体であればどんな化合物でも結晶になるので、「再結晶の名人」といわれていた。合成した化合物 の同定も重要である。得られた化合物の同定には、今ではマススペクトルやNMRがごく普通に使われるが、当時は未だ元素分析やIR の時代であった。NMRが導入されたのは丁度この頃である。私の企業や大学にも導入されたので、研究室のスタッフに頼まれてNMR の原理、測定法、チャートの読み方など、有機化学者にとって必要な事柄を勉強し、研究室のセミナーで報告した。
研究室では、研究室所属の助教授、助手、院生、研究生が参加するセミナーがほぼ毎週1回の割合で開かれていた。 研究室の基幹テーマが天然の生理活性物質であったので、JACSなどに掲載された天然物の単離同定、全合成に関する論文の輪読が多 かった。中でも、米国ハーバード大学のノーベル化学賞受賞者ウッドワード教授やコーリー教授の論文がよく取り上げられた。私が田村 研究室に在籍していた1964年、京都で国際天然物化学会議が開催され、私を含めて研究室のほとんどのメンバーが参加した。研究室から もある種の放線菌が生産する殺虫成分ピエリシジンAの構造決定について発表した。この会議への参加者は内外合わせて1400人を超え、 242の論文が発表された。中でも、フグ毒テトロドトキシンの構造決定についてはウッドワード博士、名古屋大の平田教授のグループ 及び東大応微研/三共のグループから発表があり、複雑な構造の全容が明らかになった。
1964年にこのような国際会議が日本で開催されたということは、天然物化学の研究に関しては、当時日本が世界有数 のレベルにあったためであろう。日本には、味噌、醤油、酒、納豆など微生物関連の食品が多く、醗酵、醸造産業も盛んである。農薬の 分野でもこの伝統は引き継がれており、ブラストサイジン、カスガマイシン、ジベレリン、ポリオキシン、バリダマイシン、ネライスト キシン、ミルベマイシンなどの微生物、あるいは昆虫起源の農薬が相次いで実用化されている。先進国の中で、これだけ多くの生物起源 農薬が実用化された国は他にないであろう。
田村研究室では、共同研究の大切さについても学んだ。研究室の基幹テーマである天然物に関しても、どこかの 研究室がある種の植物や昆虫、あるいは微生物が面白い生理活性を持っていることを発見したという情報をキャッチすると、教授はその 研究室に共同研究を持ちかけていた。私の場合も、研究生として同じ研究室に企業から派遣されていた植物の専門家が除草剤の簡便な スクリーニング法を開発してくれたことが研究の遂行に大いに役立った。田村研究室で共同研究の大切さを経験したことは、私が企業の 研究所に戻ってから大変役にたった。