アグロサイエンスの道を歩んで(完)


フクトー先生の思い出(2)

このような背景の下で、私はフクトー教授に「カルバミン酸エステルに、糖やグリセロールをスペーサーを介して 結合させてはどうでしょうか」と提案した。糖やグリセロールは天然物であり、これらを導入できれば植物体内移行性に優れた誘導体が 合成できるかも知れないと考えた。しかも、これらの天然物にはカルバミン酸エステルと結合可能な水酸基が存在する。私の提案に対し、 教授も「面白そうだからやって見ましょう」と賛成してくれた。

フクトー研究室のスタッフの中で、合成をやっていたのはエジプト人化学者のファーミー博士だけで、化学合成用 の実験室を一人で使っていた。そこで、私は博士の実験室に場所を借り、カルバミン酸エステルの誘導化の仕事を始めた。誘導化する カルバミン酸エステルとしては、毒性の強いメソミル、プロポキサなどを選び、それらの窒素原子に硫黄原子やスルホン基を介して 糖やグリセロールを結合させた。この誘導化の仕事は予想外に難航し、折角合成できても精製の過程で分解してしまう化合物もあった。 それでも、十数個の誘導体を純粋な形で取り出し、マウスに対する毒性やイエバエコリンエステラーゼに対する阻害活性を測定した。 又、農業用害虫に対する殺虫活性をいくつかのグループに評価して貰った。

このようにして合成した誘導体のマウスに対する毒性は期待通り、親化合物の数分の1から10分の1とかなり低下 した。しかし、多くの場合殺虫効力も低下しており、残念ながら実用化は成らなかった。帰国前に私の1年間の仕事をまとめて教授に 提出しておいた。帰国後半年ほどしてから、教授がこれを投稿論文の原稿に仕上げ送ってくださり、最終的に専門誌に掲載された。

フクトー先生は研究室のスタッフに細かい指示を与えることは殆ど無く、研究員の自主性にまかせていた。しかし、 私達が相談するために教授室を訪れると、ファンドを得るための書類作りで多忙な時間を割いて、いろいろと有益な助言をしてくれた。 フクトー先生のお宅は大学に程近い閑静な住宅街にあった。日本人の研究生は、時折夫婦で先生のお宅に招かれ、プールで泳いだりバー ベキューを楽しんだ。先生は日本語を話さなかったが、夫人は日本語もお上手だった。その先生も故人となり、リバサイド市外の静かな 公園墓地に眠っている。

リバサイド市には日系人が多く住んでおり、イースターには日系人主催のパーテイが開かれ、我々日本人留学生も 招かれた。私達のリバサイド滞在中、ある日系のご婦人と知り合った。このご婦人は、朝鮮戦争の際に日本に駐留した米国軍人と結婚し、 リバサイドに住んでいた。ご主人は退役して年金生活であったが、このご婦人はデパートの店員として働いていた。1度お宅に招かれた ことがあった。何を話したか忘れてしまったが、ご婦人の口からは英語と日本語が交互に飛び出し、我々は対話にすっかり疲れ果ててし まったことを覚えている。

米国には当時小学3年生だった下の娘を連れていった。娘は大学近くの小学校4年に編入された。最初は言葉が 分からなくて苦労したようだが、間もなく先生や友達の言っていることが理解できるようになったらしい。算数のテストでは、計算問題 はいつも満点だったが応用問題は英語の読みが苦手でてこずったようである。そのような娘に対して大学は、英会話の個人教授をつけて くれた。

最近知ったことであるが、仙台市とリバサイド市とは姉妹都市の間柄で、学生の交換留学などを行っているよう である。仙台市のホームページによると、昭和26年、仙台の米陸軍病院に入院していた米軍将兵を大学婦人協会の人達が見舞ったのが両市 の交流の端緒となった。

米国での生活には車がないと極めて不便である。私達も研究室の人たちにサポートして貰い、新聞広告で見つけた 中古車の中からフォードトリノを約1500ドルで買った。これが失敗の巻で、8気筒エンジンを持つためにガソリンを湯水のごとく使い、 毎月どこかが故障した。一度走行中にラジエーターから水が漏れ出し、ガソリンスタンドで水を補給して貰いつつ修理工場にたどり着いた ことがあった。丁度石油危機の最中でガソリンが不足し、車の末尾ナンバーが偶数か奇数かによって給油日が決められていた。この車は、 帰国直前に500ドルで売りに出し、幸いに買手が見付かった。修理代を合計すると、2000ドルほど要したので、とんだ高い買い物をした ことになる。

夏休みや週末を利用してロングドライブにも出かけた。その場合、フォードトリノではなくレンタカーで行った。 レンタカーでは車が新しく、故障の心配が先ずない。それに何かトラブルがあっても、レンタカー会社が対応してくれる。思い出に残る 場所はイエローストーン国立公園である。リバサイドから砂漠の中を4時間でラスベガスに至り、そこで1泊した。そこから北上してソル トレークシテイを経由してグランテイートン国立公園に1泊した。ここはロッキー山脈の麓の保養地で、スイスを思わせる風光明媚なとこ ろだった。イエローストーンはその北側にあった。広大な森林の中に池塘や間欠泉が点在し、エルク(大鹿)などの野生動物を車窓から 見ることができた。グランドキャニオンにも行った。リバサイドを早朝に出発すればその日の内にキャニオン入口まで行けた。単調な ドライブに飽きた頃、突然視界が開けて雄大なキャニオンが目に飛び込んできたときの興奮は今でも忘れられない。

僅か1年間の短い米国生活であったが、私にとっては貴重な体験であった。今でも当時出合った人々や見た風景が 目に浮かんでくる。

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