美しい幻想もの

 ここは、特に幻想譚とでも言うべきファンタジックなものの紹介ページ。

 ある意味では、こここそファンタジーの名に相応しいのかもしれない。


「最後のユニコーン」   (ピーター・S・ビークル著 鏡 明訳 ハヤカワFT文庫)

 これに関しては、もう言葉を費やす必要も、意味も無いと思う。生涯で最も好きな本は、と言われてこの本を挙げる人は数多い。指輪物語や、或いはゲド戦記、コナンシリーズ、そういったものを抜きにしてファンタジーの成立を語るのが愚かなように、この物語を抜きにしては、幻想文学は語れない、そんな20世紀の記念碑的な作品だと思う。中身に関しては、私などがここでぐちぐちと書いても伝えきれるものでもないので、とりあえず読んで下さい。

 とか何とか言いつつ、一応大略だけは書いてみる。

 他のユニコーンたちがいつのまにか消え失せ、己が最後の一頭かもしれないという事態に成り果てたあるユニコーンが、同朋を追いたてたというハガード王の赤い雄牛を探し、戦うために自らの森を出て、旅を続ける。
 だが人々はもはやユニコーンを忘れ果て、それと見分ける事すら叶わなくなっていた。

 ユニコーンと共に旅を続けるのは、魔法が下手な魔法使いシュメンドリック。炊事係の中年女性モリー。そしてハガード王の城で出会う、若き英雄リーア王子。

 彼らのつむぎ出す物語の見事さはとりあえず読んでいただくとして、それ以外での目を引く所を少々。

 まず、永遠なるもの:ユニコーンの絶対の孤独と、動かされざるその本質の美しさ。
 そしてそれをとりまく人間たちに、それぞれの立場、というか、ユニコーンを巡る世界があります。魔術の力、という点で一番近くにいながら、ユニコーンの世界に決して触れられないシュメンドリック。何の力も無いながら、かつての乙女として、そして理屈でなくユニコーンを愛するものとして、その傍らにいるモリー。そして英雄・王子として、人間の姿に変えられたユニコーン、アマルシア姫と愛し合うリーア。

 それぞれの世界は触れ合う事はあるにせよ、決して交じり合うことはない。そうしたどこか突き放したような所は、訳者のあとがきにもあったように、これが書かれた60年代の世界に対する冷めた雰囲気を伝えているのかもしれません。でも、それぞれの立場が絶妙に絡み合う事によって、この物語は、他の相手の立場・物語をさらに物語るとでもいうような、物語の曼荼羅を描いてでもいるかのような精妙さを見せてくれます。

 私は、シュメンドリックの世界がとてもとても好きです。あまり無能なるゆえに、偉大な師匠から、一人前の魔術師になるまで不老の呪いをかけられた、魔術を殆ど使えない魔術師。

「・・・・・・だからぼくは、ユニコーンが知ることのないことを知っています。死ぬことのできるものは、すべて美しい――永遠に生きることのできる、世界で最も美しい生き物であるユニコーンよりも美しいのです。・・・・・・」

 時に哀れで滑稽な、そんな彼から所々で飛び出すはっとするような言葉が大好きです。出てくる皆が(ユニコーンを除いては)自分たちがとある物語の一登場人物に過ぎない、というような視線を持っています。そしてとりわけ彼こそが、ユニコーンと並んで、或いは彼女以上に、そうした物語の総てを見通しているかのようです。それでいながら、彼は決して物語の主役にはなれない、そんな所もひっくるめてこの魔術師は、とても魅力的な登場人物です。

 まさに物語の主役の一人として命がけでユニコーンを守り、愛するリーア。彼の英雄としての叶わない悲恋の物語や、貧しい生活に埋没しながらも、ユニコーンの存在によってかつての輝きを取り戻すモリー、その健全で穏健な知恵と、女性だけが持つユニコーンとの絆の物語。そうしたものもとても魅力的で、それぞれ好きな方はたくさんいらっしゃると思います。

 でも私は、そんな彼らにどうしてもユニコーンとの近しさで劣ってしまう、哀しい魔術師の姿にとても魅力を感じます。

「ぼくも最善を尽してはいるのだけれども、かれらの方が、あなたを、より愛しているようです」

 そんなセリフが心に残っています。

 こうした紹介では、多分この素晴らしさは伝わりきらないと思いますが、なんでしたら、身近でこの系統のものが好きな方に聞いてみてください。多分、「あれはつまらない」という意見が全く返ってこないという、本当に稀なる素晴らしい物語です。古本屋であろうが普通の本屋であろうが、見かけたらぜひ手にとって頂きたいです。

 追記:シュメンドリックという名前は、イディッシュ文学において非常にメジャーな、道化師的でコミカルな登場人物の名前だそうです。作者がどこまでそれを汲んだかは分かりませんが、とても上手い名前を引っ張ってきたのではないかと思います。


「妖女サイベルの呼び声」   

 「最後のユニコーン」と並んで、ハヤカワFT最初期の名作と名高い作品。
 これがFT文庫の第一作なんですよね。最後のユニコーンが六番目くらいで。ずっと逆に思っていました。
 まず冒頭からして素晴らしいです。
 最初の数ページで、祖父ミク、父オガム、そして妖女サイベルと魔術師三代の生涯が手早く紹介されます。これがとにかく名文です。冒頭だけでいうのなら、おそらく全ハヤカワFT作品中でも白眉ではないかと思います。

 膨大な智慧と魔法の力を秘めた偉大なる獣たち。彼らを秘めたるマインドの「呼び声」で招き出し、自らの下に仕えさせるのが、サイベルたち魔術師の力。そして彼女は、最も美しい白い大鳥、ライラレンを呼び招くことをめざし、獣達にかこまれたエルド山の上で静かな探求の日々を送っていました。
 そんな中、彼女の母方の親族という赤子を抱えた、王家と争う豪族サールの若き公子の一人、コーレンが闖入してくることで物語は動き始めます。
 国王ドリードとの敗色濃厚な争いの中、彼の兄と王妃(サイベルの叔母)との間に生まれた不義の子、タムローンを密かに救うため、争いとはかけ離れたサイベルの元に、彼は無理やりタムを託して行きます。
 そして、彼女がタムローンに愛情を注ぎ、彼が健やかな少年として成長した頃、再び物語は動きます。
 タムローンは実は国王と王妃の正当な嫡子であり、王位を狙うサール一門が、そして他に跡取りのいない国王自身が、タムローンの身柄を手中にせんとします。
 再び彼女達の前に現れたコーレンの言葉により、タムローンは自らの生い立ちを知り、やがて自らの意思で父親のもとへと赴きます。その上なお、王子タムと強い絆を結び、とてつもな力を持ち、しかも王妃と良く似た美貌を持つサイベル自身の存在も、両陣営にとって無視できぬ存在となってしまい、彼女もサールと国王の間の争いに否応無くまきこまれてゆくこととなります。
 そして終には、国王の行ったある行いを贖わせるため、サイベルはコーレンの妻となり、サールの味方となるべく山を降りることになります。ゆくてに待ちうけるのは、彼女自身が選んだ暗い戦です。

 物語の切なく辛い美しさもさることながら、ともかくも出てくる獣達が素晴らしいです。おそらくケルトその他の神話や伝承から縦横にその原型を求める事ができる彼らの、まさに神話そのままの優美で誇り高い姿。そしてそれをまざまざと脳裡に浮かべさせてしまう巧みな描写は必見です。
 最も美しいライラレン。人の恐怖の純粋な結晶たる暗きモライア。この二者を中心に物語はめぐってゆきますが、個人的なお薦めは、何と言っても狂言回しを務める猪のサイリン。バラッドを唄い、ただ一つを除く全てのリドルの答えを知っているというこの猪、コーレンを冷たくあしらったりサイベルをちくりと諌めたりと、非常に良い味を出しています。(余談ですが、マビノジョン的世界を格調高く描いた「夏の樹」においても、ただ一つを除いたリドルの答えを知っている大地の精(変身できるらしいので、姿は何でもありですが)というのが出てきますし、ケルト風の伝承において、喋る豚というのが王に助言する話なども(名前をど忘れしましたが児童文学のコラン? 王シリーズもそう)あり、こうした賢い、リドルの主たる猪というのは割りと有名な伝承かもしれません)。

 そして彼らの美しさを引き出しているのは、物語のもう一方の主役、コーレンの不思議な力です。
 七人兄弟の末子たる父親の、さらに七人兄弟の末っ子である彼は、夢で様々なものを幻視し、サイベルが集めた獣達の素性さえも、見た瞬間に理解し、美しい言葉で彼らの過去の物語を(そう、我々に向けても)語ってくれるのです。
「モライア……<夜の貴婦人>だ、魔術師タックに、彼が幽閉されていた扉の無い塔を開く呪文を教えた……」
 これはその獣達の一体を見た時に彼がこぼした呟きを引用したものです。姿形がどう、と細かい描写は全体を通じてもあまりないのですが、その代わり、引用した独白のように、一つの言葉の背後に、とても美しく豊かな世界が広がっているのです。人の想像力を刺激する、という意味で、最良の児童文学、いえ文学作品の部類に入るのではないかと思います。

 そしてもう一つ、この物語の素晴らしい点は、登場人物が一口では語れないような複雑で陰影に富んだ造形がなされ、それもあって様々な読み方ができるという所です。これは同好の士を数人集めてきて、「サイベルってどんな話か」と語らせてみるとわかると思います。自分の読み方と全く別の読み方をしている人が存外いて、驚くと思いますよ。

 勿論中心はサイベルの話です。作家自身が女性ならではの巧みな造形と描写です。タムローンに細やかに愛情を注ぐ姿、年を経たドリード王とコーレンとの間で揺れ動く様、それでいながら、ライラレンを求め、そして贖いを求めての、誇り高く、矜持の為に全てをなげうつ激しさ。そうした相反するかにも見える要素が、一つの人格として豊かに溶け合っています。

 コーレンも一言では語れないとても魅力的な人物です。幻視の力を持ち、ただ人でありながらモライアの恐怖から逃れ得たただ一人の人物。さわやかな弁舌と少年のような純粋な心を持ちながら、最愛の兄の仇を取る為、タムローンを再び現世へ連れ戻しに現れ、またサイベルをも彼らの権力抗争の渦へと巻きこんでいった人物。
 これは、彼の愛情と赦しの物語でもあります。サイベルへの愛のため、彼はドリードへの復讐を諦め、また贖いを強く望むサイベルその人も赦します。
 権力抗争の渦中にあった下界のコーレンと、静かな山からそれに引きずり込まれたサイベル。しかし山を降りた後は、彼女こそが争いの中心であり、コーレンは逆にそれを止める立場へと入れ替わります。この鮮やかな逆転は、竜の背の上で、サイベルすら怯える中、子供のように歓喜を迸らせるコーレンの姿の描写で頂点に達します。今度は、彼のほうが遥かな高みから、純粋に下界を見つめているのです。
 十年以上昔、「ウォーロック」誌の妹尾ゆふ子さんのレビューでは、「少女マンガの理想のヒーローのよう」といった解説をされていました。サイベルの心の底の、彼女すら気付かぬ苦悶の呼び声を聞き、はるばるサールからエルト山まではせ参じてくる彼の姿は、女性からみるとやはり理想の恋人像ではないかと思います。

 また、山で純粋に素朴に暮らしていたタム少年が、王子タムローンとして大人になってゆく物語として読む方もいるかもしれません。まだ見ぬ父親に憧れ、コーレンとサイベルの間に挟まれていた彼が、いつのまにか父王を一人の人間として冷静に認め、王子として立派に成長している姿は、なにげないようですが、かなり示唆に富んだ物語です。

 深く愛した王妃に裏切られ、人を愛することを恐れるようになってしまった、孤独な王ドリード。彼も決して悪役というのではなく、或いは彼の境遇に哀しみながら物語を読む方もいるかもしれません。

 そして、エルド山にすむ、いかにも魔女然としたメルガ婆さんもとても魅力です。彼女とサイリンという冷静で暖かい助言者達が、様々な経験を経て変転して行く若き登場人物たちに彩りを加えています。

 類型的な悪役や決まりきった筋立ての対極にある、人間の心理の奥深い襞にまで踏み入ったとても上質の物語です。多少心理学的な味付けもされているかもしれません。ただ一人、呼ばれることもなくサイベルの下に現れたモライアとは何者なのか。そしてライラレンを呼び求める手段はどこにあるのか。
 それすらも時に忘れるほど、読むたびに、違った横顔をかいまみせ、異なった印象を抱かせるような見事さです。
 もはやある種の古典といってよい作品で、しかも今なお色褪せない(古典、と呼ばれるものは色褪せないのが本当は最低条件ですが)、神話であり、かつ物語でもある良質の作品。同傾向の後継作になかなか恵まれなかったため、大絶賛される事はないですが、一度読めば、心の奥底でひっそりとその位置を占め、折々にふと浮かんでくる、そんな作品です。
 未読の方は、古本屋といわずに近所の本屋で注文してでもぜひぜひどうぞ。決して損はさせません。


「影に歌えば」 「冬物語」  (共にタニス・リー著 井辻朱美訳 ハヤカワFT文庫)

 前者は「ロミオとジュリエット」のタニス・リー版。後者は中篇が2本入った、彼女の割と初期で、割とオーソドックスな物語。

 あの独特の絢爛豪華で眩暈すら覚えるような妖しくも美しい世界とは、またちょっと味わいの違う、でもやはり両方ともリー先生らしい作品。

 「影に歌えば」の方は、訳者も後書きで書いていますが、どちらかというと若者の無鉄砲と能天気さという印象がつきまとう原作をほぼ忠実になぞりながらも、それとは全く趣の異なる、神話の世界のような美しくも運命的な愛憎劇に仕立て上げられています。

 ともかくも、一人一人の人物像の設定が実に巧みで、これを読んだ後、原作の方を読むと、そのあまりの粗雑さに泣けてきて読みとおせない、という程の代物です。

 特に良いのが、主役達の各々の親族でこの両一族の死闘の中心にいるマーキュシオとティボルトにあたる、マーキュリオとレオパルド。一方はロミオならぬロミュラーンの親友であり、導き手であり、そして物語の狂言まわしである事をどこか自覚しているような、不思議な魅力的な青年。もう一人はジュリエットならぬユウレッタの親族で、不和と死に魅せられた若き獅子。彼らの、宿命的とも呼べるような争いのクライマックスは、とてつもない凄まじさです。

 また、魔術めいた世界も、あまり表には出てきませんが、やはり世界の底流をなすものとして脈々と息づいています。女性の持つ豊かさと恐ろしさの二面性、キリスト教的でない世界観、そしてもう一つ、思いの深さに依拠する魔術、というのはリー先生の作品世界の中で、割と特徴的な所だと思いますが、この作品でも、それは存分に発揮されています。

 

 「冬物語」の方は、割と初期に書かれた作品で、「冬物語」と「アヴィリスの妖杯」という二作の合本。とりわけ私は後者が好きだったりします。

 両方とも伝統的なスタイルに沿った小品、という感じですが、短い中にもリー先生独特の深く鋭い描写があって、決して内容は小さいものではないと思います。

 割と意外な事に、いつもの、というか後の作品に共通する豪奢な語り口ではなく、短い言葉で淡々と物語りはつづられています。でも、それがまた素晴らしい代物で、リー先生のこういうスタイルも私などは大好きです。

 前者は魔法使いの少女と、呪いをかけられた若者が、時空すら飛び越えて、己自身を発見していく物語。

 後者は、呪われた杯を手にしてしまった戦士が、迫りくる死の恐怖と戦いながら、それを放擲しようと放浪する物語。

 短い話ですのでこれ以上の粗筋はどれも割愛しますが、両方とも恐るべき魔術の香りと、運命に翻弄される中で雄々しく生きる主役達の姿が美しい名作です。特に前者のラスト一枚の描写やら、指輪物語の第三部にも似た、後者の主人公の苦難の道のりの描写など、ぜひぜひ読んで欲しいものです。

 リー作品というのは、あまりにも美しい絢爛豪華なスタイルや、幻想に満ちた雰囲気などで冠絶した作品ですが、それともう一つ、女性ファンタジー作家の中ではずば抜けて男性描写が巧み、というのが(あまり言われてきていませんが)あると思います。

 彼らは血の通った一人の男性像でありながら、その上になお、伝説や神話の中で活躍する、英雄達の相貌をも備えています。この2冊は、リー作品の中でもそうした面が素晴らしいものとしてあげてみました。特に「アヴィリスの妖杯」の主人公ハヴォルの恬淡とした人となりや、「影に歌えば」マーキュリオの比類無い人となりなど、絶対のお薦めです。

 女性と男性で全く違う面白さが楽しめる、そんな意味でもお薦めで、読んで欲しい作品たちです。


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