| 2003.11.29世界オオカミ会議 2003(World Wolf Congress 2003)報告 |
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イザベル ディー 訳 原 亨 |
![]() 今年の世界オオカミ会議の主テーマは「科学と社会を結ぶ」であった。 場所はカナダ、アル バータ州、バンフ国立公園内バンフセンター。 期間は9月25日〜28日。 中央ロッキーオオカミプロジェクト非営利・科学教育団体主催。 この日間に行われた全体会議と研究 発表は総計約100。 この数からも取り上げられた分野の多様さと参加国の多さがお分り頂けると思う。 また、 「オオカミの管理と保護」のための有効な手法が多くの国オオカミがいる国のみで行われていることがお分り頂けるだろう。このような国際会議は、単に「オオカミの管理と保護」の手法を学び合い改善するためだけでなく、野生生物全般と人間との係わり合いを見直すためにも極めて重要であると思う。 また、一般の人たちのオオカミなどに対する誤解を、野外等での科学的研究や野生生物に対する倫理的な考えの発展によって正して行くためにも重要であろう。 この会議中、「倫理」という言葉が良く使われた。「正しい科学」という政治的な言葉が使われることがある が、これでは全く不十分である。この言葉では我々人類が他の生命と共存して生きて行かなければならないということの意義を十分表わせていない。オオカミ復活に関する科学的な研究も政策的な研究も「正しい科学」を強調する傾向にある。実証的な研究に基づく理論は野生または飼育下のオオカミを管理するための基礎を提供すると思われている。しかし、オオカミに関する人間側の問題は、現実のデータ、数学モデル、管理手法とは無関係であり、人間のもつ価値観の矛盾に深く根ざしているのだ。すなわち、食肉動物一般との共存について人間には倫理的な葛藤がある。我々は現在の科学に欠けている点を補う「正しい倫理」を必要としているのだ。オオカミ復活についても同じことが言える。「正しい倫理」は先ずオオカミの倫理的な立場をどのように位置付けるべきかを明らかにし、科学 的なオオカミの管理における倫理の重要性を強調し、オオカミの復活における倫理の「実際的な価値」に着目するものでなければならない。 *「バイオフィリア、生命愛)」という新しい言葉が、「人類以外の生命に対する先天的な親しみ」という意味で使われて いた。ポール・パケット氏(アルバータ、カルガリ大学、環境設計)は「客観性は幻想である。自分が客観的であると主張する者は不正直だ」と言っていたが、 ここまで言える勇気を持った研究者は数少ない。この研究発表会で取り上げられた主題の多くはこの言葉に関係を持つべきだろう。*「最後の全体会議」で、デーブ・ラビーニュ(国際海生哺乳類協会)も「倫理」に関する発言を行っていた。即ち、「この会議の中で複数の科学者は、今まで「タ ブー視」されてきた「(オオカミへの)愛」という言葉を使っていた。我々が「人間中心主義」を捨てて、「生物中心主義」にならないならば、自己欺瞞と言われても仕方ないだろう。 *平行して他の視点からの報告を行ったのはデイビット・ミッチュ博士とルイジ・ボイターニ である。それは、より広い視野を持った、長年の研究・フィールドワーク・個人的な実体験、に根ざしたものであった。これらは、彼らが最近出版した「『オオカミ』その行動、生態、保護(‘Wolves, Behavior, Ecology, Conservation’)」にまとめられている。この本にはその他の研究者の論文も含まれており、「インターナ ショナル・ウルフ・センター(www.wolf.org/)」からオンラインで買うこと ができる。価格は$49.00と送料。この本には大量の最 新情報が詰まっていて、読む人によって意見の違いはあるかもしれないが、私としては特にお勧めである。(その内日本語に翻訳されるのでは?) *デイ ビット・ミッチュ博士の発言から目新しいものを幾つか紹介する。1.「アルファ」オオカミ (パックの中の繁殖できるオス、パックの絶対的な中心?)の概念 野生状態にあるパックの序列は非常に流動的で、獲物の獲れ方とかパック内の状況によっ て変わっているようだ。確かにパック内には繁殖ペアが存在するが、大きなパックでは繁殖ペアが2組存在することがある。「アルファ」と言う言葉を使うのは不適当なのではないか。 2.オオカミは弱いものを捕食 するのか そうだ。子牛を獲る場合で も弱い者を選ぶ(エルク、シカ、バイソン等も同じ)。 3.オオカミの人間に対する危害は? 主に「人慣れ」が唯一の原 因である。 4.近親交配はオオカミの数を減らすと思われるので重大な問題だ。このためにDNA研究が行われている。 5.オオカミが何を食べてきたかということは、オオカミの数にはあまり影響しない。(会場で他の研究者から強硬な反論があった) 6.オオカミがパックで狩をする理由。 7.「野生」種としてのオオカミ ミッチュ博士によれば、オオカミも他の多くの野生種の中の一つに過ぎず、オオカミだけを特別扱いするべきではない、とのことだった。 8.オオカミの被食動物の数への影響 プラスとマイナス両サイドの影響がある。 9.オオカミの家族を野生のま まに保存する必要。 *ルイジ・ボイターニ氏の発表内容は、オオカミ保全戦略も含めて、 デイビット・ミッチュ博士と殆ど同じであった。 1.オオカミ保護にとって、「保護区」国立公園または保護地域は重要である。しかし、それ以外の方法もある。 2.オオカミにとって、野生の環境は必須ではない。彼らは他の環境でも生きていける。古い偏見を捨てよう! 3.オオカミと人間は保護地域外でも、隣接して生きていける。 4.オオカミの数を増やすよりも、その生息域を広げることが重要である。 5.科学の客観性と情緒的なものとは別物であり、切り離されるべきである。 6.オオカミの管理は「社会の財産」とは切り離して考えるべきである。 7.オオカミだけを保護・管理するのではなく、その生きている生態系全てを保護・管理しなければならない。 8.オオカミが我々の環境を多少撹乱しても、許せるようになろう。 これらの言葉が彼のイタリアにおけるオオカミ体験からきたものであることは明らかである。イタリアでのオオカミ生息数は700頭に近づいている。イタリアの単位面積辺りの人口密度の高さを思えば、オオカミは人間の居住地域近くにも適応できることが分かる。逆に人間もオオカミに対してある程度寛容になれることも示している。しかし、イタリアでは地方によってはオオカ ミ狩りは今でも合法であり、禁止されている地域でも密猟が行われていることを忘れてはならない。 会議は主題によって4つに分けられ、夫々の発表の内容はプログラムに載っている。 1.保護・保護の方針と計画 ・オオカミの管理・オオカミ管理の技法 ・オオカミとその保護地域の管理 ・オオカミ保護の遺伝学 ・少数の回復過程にあるオオカミの管理方針 ・オオカミ保護のための集団生物学(Population Biology)と生息地 2.捕食・家畜の捕食 ・オオカミによる家畜被害の理解と予測。オオカミの管理、殺す場合、殺さない場合 ・残存、復活、衰亡過程にあるオオカミの頭数、その状況、統計、テリトリ、被食動物 ・オオカミがイヌにあった時 3.教育・オオカミと人間の文化:共存か衝突か? ・共存のための教育 ・オオカミと人間の相互作用 4.オオカミの生態学・オオカミの生理学 ・オオカミの生存数動学 ・オオカミの行動生態学 ・オオカミの被食動物の生態 学:その研究技法 ・オオカミの社会(生態学 的交互作用) 「オオカミ保護」が論じられる時に、しばしば話題に上ったのが「ハワイ・アラスカ以外 の米国諸州でのオオカミ復活、次はどうなる?」だった。例えば、ニーナ・ファッショーニ(野生生物を守る会Defenders of Wildlife副会長)は次のように言っている。「オオカミが米国で、(絶滅危惧)からthreatened(絶滅のおそれがある)に格下げされると、連邦の動物保護について多くの論争が起こるだ ろう。オオカミを長期的に復活させるには、単に今の頭数を守ったり殖やしたりするだけでなく、オオカミを今までいなかった地域、ロッキー南部、太平洋北西岸、米国北東岸にも復活させるべきである。」しかし、米国野生保護局はまだそのような計画を持つにいたっていない・・・。 *パネルディスカッションは幅広い視野から行われた大変興味深いものだった。主題は「被食動物を殖やすために、オオカミの数を管理する(殺す)べきか?」。 メンバーは、ジェドゥルゼウスキ、ボブ・シクリン、デイビット・ミッチュ,ポール・パケット、リック・ページ等々。 捕食者と被食者との複雑な関係と、管理と言う言葉が何を意味しているのか、ということと は、最近の研究でしばしば取り上げられている問題である。 人類の増加に伴って生態系が影響を受けるのは避けがたいことであった、人類は生態系を「管理すべ きか」という問題よりも、「どうやって管理すべきか」という問題に、益々深く立ち入らなければならなくなったのである。 全体として、我々が生態系を 管理しようとした時に、どの程度正確にその結果を予測できるのだろうか?「被食動物の数を増やすために、オオカミの数を管理すべきか?」という問題が現在科学者、野生生物管理者、政治家、一般大衆の間で議論されているが、このことは、科学的に有効であるかという観点からだけでなく、オオカミの管理(つまり 殺す)という倫理的な観点からも議論されている。 このような議論は、オオカミが家畜に被害を及ぼしている地域では一般的に見られれる。他の場所では、オオカミが野生の狩猟対象動物などを脅かしていることもあり得る。これもある種類の人間にとっては経済的な財貨なのだ。このような込み入った状況にあるので、 野生生物の狩猟実績を上げるためには、オオカミを管理する(殺す)ことが科学的に正しく、経済的に効果があると言えるのだろうか?(この問題はカナダとア ラスカでは特に顕著である)さらに、オオカミ管理に関するもう一つの問題は、オオカミが絶滅危惧種(endangered)の動物を脅かしている場合である。(例えば、カナダのバンクーバーマーモット)また、 オオカミは自然生態系において重要な役割を果たしているのだから、人間は干渉すべきでないと言う意見もある。異なった利害関係を持つ人たちの間の意見の違 いは大きく、オオカミを殺したり殺さずに管理したりするためには、どのような方法が経済的で、生物学的、社会的に可能なのか?という問題は結論を得なかっ た。 西欧諸国では、オオカミの 生存環境は危うくなっている。家畜を放牧する習慣があるのでオオカミによる家畜の被害が出ているからである。開けた土地での放牧を禁止して、昼間は羊飼いと牧羊犬に交代で家畜の番をさせ、夜は襲われないように護る。家畜の死体はオオカミの来られない所に保管する。オオカミの餌になる偶蹄類の生息数を回復する。大きな獲物(偶蹄類)を檻で飼わない。野生動物を捕食するオオカミへの迫害を禁止する。これらは全てオオカミの生存に役立つだろう。西欧諸国は裕福、 近代的、民主的、文化的な市民の国であり、自然保護と生物多様性の保全に関心があるに違いない。そして、オオカミがその自然での役割を果たすことを保証して、現在の悪夢のような生存状況をなくすことが、この地域でオオカミが生き延びていくための最善の道であろう。 *このような意味で、LDG(Livestock Guarding Dog, 牧羊犬)について議論が弾んだ。牧羊犬は家畜をオオカミの襲撃から護るのに有効なので、多くの種が開発され、牧畜業者に利用されてきた。 * ウラヂミール・ボロゴフの「オオカミがイヌとあった時」の発表も注目すべきものだった。これはヨーロッパ・ロシア中央部でオオカミが飼い犬を襲う話しで あった。オオカミが家畜を襲う例は世界中で起こっているが、ロシアでは家畜よりも飼い犬が襲われることが多い(そこでは、飼い犬は夜間、つながれたまま戸 外に放置され、犬を失った飼い主は簡単に次の新しいイヌに取り換える)。1996年7月から2001年3月の間に、123頭の飼い犬がオオカミに襲われて、内117頭が殺されている。 私の結論*人間が属する「グループ」 「我々は単に動物なのではな い、我々は人間と言うグループに属する動物である―。」したがって、オオカミにしろ 他の種にしろ、単なる研究、データの堆積、我々の利益に役立つ科学的な発見の対象、として扱ってはならない。人間以外の種もそれ自身の知性、目的、感情 (精神)を持ったものとして扱うべきである...。他の動物達も我々と同じように感じ、苦しむのだ。我々人類は生態系をかき回し、破壊している。そのため オオカミは他の種に囲まれて生き残るために、彼らの「生き方」をこの激しい変化に適応させ、進化させなければならない。我々がこの会議で議論した「保 護」、「復活」、「捕食」、「オオカミ管理(殺すにしろ殺さないにしろ)と言った問題もここからきているのだ...。我々はこの地点から始める以 外に方法はない。世界中の人達のうちのある人々は、「我々人間」と「他の種」とが如何に複雑に関連しあっているかを理解し始めている。そしてこの関係を維持するには、バランスのとれた方法を採用することが如何に重要であるかを。そしてこれを実行するときに、我々はどこまで「正しい倫理」を保ち続けることが できるのだろうか? 原 亨の報告書(2003年10月4日) 2003年9月25日〜28日の4日間、カナダ アルバータ州 バンフ国立公園で行われたWorld Wolf Congress 2003に参加した。私にとっては初めての参加で、そもそもこんな会議があることを知ったのが去年の12月、知ったその場で申し込んだのだった。 世界20数カ国から集まったのは約500名、参加者の国を発表者のアブストラクトから拾うと、アメリカ、カナダ、メキシコ、インド、ロシア、ポーランド、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、スロベニア、チェコ、ドイツ、イタリア、スイス、フランス、スエーデン、ノルウエー、フィンランド、スペイン、ポルトガル、イギリス、スコットランドで22カ国だが、日本のように発表しないで参加だけの国が他に何カ国あったのかは分からなかった。研究発表は3つの会場に分かれて111、その他にポスターによる発表が60。 研究の内容を紹介することは力に余るので、以下には私が受けた個人的な印象を順不同に書いてみる。 1.参加者の中で、オオカミがいない国は、日本、イギリス、スコットランドくらいだろう。日常的にオオカミに接していない国でオオカミの生態研究をすることは余りにもハンデが大きい。オオカミのいない国のオオカミ研究者は不幸だ。 2.ユーラシア大陸でも、アメリカ大陸でも、オオカミは動いている。これらの国の、環境意識の高まりと産業の高度化(農業、牧畜業の地位の相対的な後退)によって、先進各国のオオカミに対する迫害は減ってきている。それに伴って、これらの国では生き残っていたオオカミのテリトリが国境を越えて広がっている。 例えば、スエーデンのオオカミはロシアからフィンランドを通って移動してきた。さらにノルウエーに入って駆除されている。イタリアのオオカミはアルプスを越えてスイス、フランスに入った。スペイン、ポルトガルのオオカミはピレネーの残存種のようだ。 これらの国では当然侵入してきたオオカミによる家畜の被害をどうやって防ぐかが大きな問題になっていて、そのような発表も多かった。驚いたのはイヌの被害が意外に多いことで、特にロシアでは、イヌの飼いかた(夜も屋外につないでおく)も原因となって、被害が多いそうだ。 3.地続きの国ではその意味で、オオカミ再導入は容易だとも言える。自然環境を整備して待っていれば、隣の国から入ってくるからだ。しかし、イギリスや日本のような島国でオオカミを復活させようと思えば、オオカミは泳いでまでは渡って来ないだろうから人間が連れてこなければならない。イギリスが今後オオカミに対してどんな政策を取るか、日本にとっては興味が湧くところだ。 4.アジアでオオカミの研究国として紹介されたのはインドだけだった。World Wolf Congressにおける日本の存在はゼロに近い。私の聞いた範囲ではオオカミがいない国からの研究発表は無かった。オオカミ研究の世界に対して日本の存在をアピールするには、日本からオオカミに関する優れた研究を輩出する以外に無いだろう。しかし、これは実に難しいことだ。 あと、印象に残ったのは、 5.近親交配が始まると急速に繁殖率が落ちるという報告があった。将来、日本にオオカミを入れる場合には、このことを考慮して、2パック以上のオオカミを入れる必要があるのかも知れない。 6.Ethicsが強調されていた 多くの発表で、Science and Ethicsと言うような言葉がしばしば使われていた。ここでScienceと言っているのは生物学のことで、生物学だけではオオカミは守れない、Ethicsが重要だ、と言うような意味合いで使われていた。 Ethicsは普通、倫理と訳されているが、ここでは生き方、考え方、と言ったようなことだと思う。要するに自然やオオカミに対する一般の人たちの考え方が変わらなければ、自然もオオカミも守れない、と言いたいのだろう。「え、君達でもまだなの?」という失望も感じた。 7.イザベルさんの話では、イタリアのボイターニがオオカミは野生でないと生きられないわけではない、と言って、イタリアの町に出てきて残飯をあさるオオカミの話をしたそうだ。町の人がそれを許しているのは、長い伝統があるからだろう。どこでもすぐできる こととは思えない。 8.パックが大きくなると、アルファは単なる繁殖者になる、と言う観察報告があった。 9.オオカミの環境適応力は高く、環境の変化に応じて行動を変えることができる。カナダにバイソンはいなかったが、北米に来て食べるようになった。というインターナショナルウルフセンターのミンチの発表があり、これに対して、会場から反論が出ていた。 10.国によってオオカミ対策は異なる。オオカミの管理に対して、どの国にも適用できるような唯一の解はない。 11.オオカミの害を防ぐためにイヌを利用している例が、有効な対策として幾つか報告されていた。guarding dogと呼ぶらしい。 12.北米では、オオカミが充分殖えた、と言う理由で最近保護レベルが格下げされスティング )、今後は従来のように連邦政府でなく、各州が独自に対策をとることになった。 今後どのような対策が取られるか見守る必要がある。 |