MS−06RザクU/解説書
MS−06ザクUのバリエーション
MS−06ザクUは、全てのモビルスーツの基本であり、これをベースにあらゆるザクのバリエーションが生まれた。
当初空間戦に使用されたザクにはA、CタイプがあるがAはほんの少数が生産されただけで、生産ラインはCタイプへと受け継がれた。
外見上の差異はほとんど無いが、コクピットの開閉システムが異なっていた。
続くFタイプではパイロット側からの意見でコクピットの改良とペイロードが一部変更になった。
優れたパイロットを擁護するのはいつの世も同じだが、ザクでも一部の要請に応じて機動性の高いモデルを生んだ。
推進エンジンの出力を3割アップしたSタイプである。
これは指揮官用として百機余りが造られたと言われている。
さらにザク本体自身の性能向上を計るためエンジンの推力を倍にアップし、増速用ブースターを設けたRタイプが作られた。
このRタイプはコストの問題を大きくかかえたためと、パイロットの錬度の低下から少数が生産され、一部の熟練パイロットに使用されたにとどまったが、燃料搭載料を増大化しR09タイプと機種選定で争ったR−2タイプもある。
初期から中期にかけては強行偵察型としてEタイプ(モノアイを大幅に改良、軽量化して探知システムを各部に設けた)が、トレーナーとしてTタイプも少数ながら生産された。
地上戦ではFタイプから不用なシステムを無くし軽量化を計ったJタイプが活躍している。
これを基にあらゆる研究試作機が誕生した。最も需要の高かったアフリカ・アジア向けに熱帯戦用Dタイプを提供、対空防御と中距離支援のためにK(J−12)タイプ、水流エンジン試験用Mタイプ。
移動性をアップしたGタイプ等がつくられた。
ザクはあらゆる研究母体に使用されたが、異様を極めたのはサイコミュシステムを搭載したZタイプであろう。
MSN−02のテストベースに使用された物で、MSN−02で使用予定のビーム砲を両腕にそのまま装着したため、腕だけが異常なオーバーサイズとなっていた。
MS−06R TYPEについて
MS−06Rはそれまでの主力であったFタイプの性能向上を目的として計画されたタイプである。
試作上の改修点は、背部、腰スカート、脚部で、ここを中心にエンジンのパワーアップが計られた。
殊にランドセルは通常タイプをはるかに上回る推力
218トンの物を2機装備するという徹底ぶりである。
テスト用の1・2号機は全体をオレンジイエローに塗装し、グラナダ基地で各種テストが行なわれた。
このテストの際にはザク開発当時からのテストパイロットであるエリオット=レム少佐が招かれ、少佐自らが1号機を操縦して2週間に渡ってテストを繰り返した。
性能は極めて良好で、即時量産化が決定、Rタイプの形式名称を与えられ初回生産分として22機が発注された。
ロールアウトした機体は実戦テストを兼ねて各方面へまわされた。
但し開戦当初の作戦でMS−05部隊からの優秀なパイロットを多数失った事は未だ大きな影響を残しており、高機動型として開発されたRタイプを操縦しきれぬパイロットが続出したのである。
これはFタイプにも言える事だが、機体内部にわずかしか搭載し得ないロケット燃料をすぐに使い果たしてしまい易い事が、パイロットに恵まれなかったザクの不運と言えよう。
MS−06Rには大きく分けて3つのタイプがある。
元々燃料の補給には母艦であるムサイもしくは、バルキリータイプの空母で可能であったが、度重なる戦場からの報告に、背部及び脚部の燃料房が簡易カートリッジ化された。
改修前の22機までを(内10機余りは後に同仕様に改造)R−1、その後のカートリッジ式の物をR−1Aとして区別する。
作戦を共にするムサイにも、この補給設備を設けRタイプを主とする、またはのみで構成する小隊単位に1機の割合で補給用のザクが随伴した。
機体自身は熟練パイロットによって高性能が見出されたが、Rタイプを実動させるために必要な条件が複雑化し、低価格、簡易性を欠くためその後の生産は中止された。
とは言う物のエースパイロットからの評判は良く、生産ライン上の十数機に至るまで各方面より引き合いがあり、残数は注文調整の形で一機ずつが渡されたという事である。
Rタイプの使用例は、各エースへまわされた事も手伝って派手かつ有名な物が多い。
中でもキシリア少将直属である。A=ガイア少尉(後に大尉で戦死)率いる「黒い三連星」はその最たる物であろう。
彼らはチーム行動をとるようになってから、MS−05B、MS−06C、S、Rと乗り継いでおり、Sタイプからは、ブラック、パープル、ミディアムシーグレーの3色を基調にしたチームカラーを用いたが、これは彼らが初のMS−09小隊として地球に降りたときにも使用、後にMS−09の制式塗装にも採用されている。
R−1Aを駆るエースの内、三連星に次いで有名なのは、ソロモン方面軍のシン=マツナガ大尉である。
26才という年齢にして開戦より5隻のサラミスとマゼラン1隻を単独で撃沈せしめ、ドズル中将戦場視察(実際は戦闘参加)の折りに中将の護衛を務め上げた猛者である。
彼は乗機をホワイトとグレーで塗装し、「白狼」として恐れられた。
MS−06Rの3つめのタイプは、MS−06の後継機選定でMS−09と争ったMS−06R−2である燃料搭載量を18%アップし、脚部装甲を強化、コクピットをダイレクト・インに変更など、各種改修を行ない4機がつくられたが、もはや一部性能で優れてはいる物の総合性能でMS−R09には今一歩遅れをとっていたこのR−2タイプもしばらくしてエースへまわされたが活躍した例は、ジョニー=ライデン少佐の乗機が有名である。
機体は真紅に塗装され、各所に黒を使った実に鮮やかな物であった。
戦後の写真集で「赤い彗星」のRタイプとして誤って紹介されたのは、このライデン少佐の乗機である。
MS−06R−2ジョニー=ライデン少佐機/解説書
ZEONIC社が開発したMS−06R−2は、それまでのMS−06Fに代わる、次期宇宙用汎用モビルスーツとして、その選定に供された機体である。
当時陸戦用重モビルスーツとして配備されたMS−09ドムの性能を高評価したジオンは、ジェネレーターと推進装置の換装によって宇宙戦用へ転化する事が望ましいと判断した。
とりも直さずZEONICで開発が行なわれていたMS−11の完成が遅れていたためである。
新型機種の導入にあせったのは軍部だけでなく、むしろZEONICであった。
ビーム兵器の標準装備化を見合わせても総合性能に優れているならしいう判断が下ったからであった。
そこで選定に際し、MS−09の宇宙空間型に主力機配備数の大半を奪われる事を恐れたZEONICは、高機動戦用ザクとして開発されたMS−06Rをもって再び要請に応ずる事を決定したのである。
MS−06Rは、高性能ながらもザクの基本設計故に数多くの問題点を内包し、取り扱いのクセの強さから一部のパイロットの間で使用されるにとどまった。
しかし少数生産に終わった理由の半分としては、製作材料のハイコストが大きな原因だった様である。
「ZEONIC」が競作機として提出した機体は、生産中止に終わったRタイプの最終型R−1Aを大幅に改修した物で、脚部装甲材の強化、燃料搭載量の18%増大化、各部装甲材の変更(軽量化、耐衝撃性の向上)、それまでのザクと違ってコクピットへの搭乗方式を直接行なえる様に、右胸のハッチの部分をスライド式コンソールに変えたMS−06R−2である。
ベースに使用されたのが元々F型と中身のほとんど違うR−1Aタイプであったため、このR−2はザクの皮は着ているものの、新型もしくは新開発機と言っても差しつかえない程の別物であった。
事実グラナダ基地で行われた、公開テストでは再びエリオット=レム中佐によって操縦が行なわれ、模擬空戦における機動性、最大戦速時の攻撃能力の高さを証明してみせた。
試作がぎりぎり間に合った1号機にはMS−11用にテストベッドに乗せられていたジェネレーターを簡略化した物が装備され、最後までビーム兵器を使用する事への希望がたくされたが、キャパシティは限界であり、機動性の向上へその大半が吸収されるにとどまっている。
VC0079、10月に行なわれた試験で使われた1号機以降は、わずか2週間でMS−11用改にもどされている。試作1号機を見分ける上では、初期のジェネレーター装備の物は、上半分の容積を1.4倍としているため胸の前後幅が増し、推進剤のタンクを余分にとったためスカートの形状に変更が見られる。
後にこの機体もMS−11用改ジェネレーター(初期よりも簡略化が行われている)に換装されている。
脚部装甲にも全4機製作された中で多少の差異が見られ、脚内側のロケットエンジンのフェアリングにカバーの面を揃える物と、後側ロケットエンジンまでをかこむ物の2種があった。
結局火器搭載量、生産性の問題で総合評価ではR−2タイプは却下されたが、試作された4機は社内研究用の1機(通称R−3としてその後も改修を受けた機体で、正式名ではないがザクVとして戦後博物館へ送られた)を残してパイロットへ供された。
戦後に投入されたR−2の使用例で最も有名なのは愛機を真紅に塗装したジョニー=ライデン少佐機である。
少佐の戦功によって高名かと言うとそうでもなく、むしろ戦後の軍事記録写真集などで少佐機の写真が「赤い彗星」ことシャア=アズナブル大佐の乗機と間違って紹介された事による所が大きい。
ジョニー=ライデンは、サイド3への第一次移民の3世で、旧オーストラリア大陸から宇宙へ昇ったジオンには珍しいアメリカ系イギリス人の血を引く男である。
22才で国防軍へ志願し、Cタイプザクのパイロットを経てFタイプを愛機とし曹長から大尉へと昇進、少佐になってからR−1Aの要請にもれR−2を愛機として活躍した。
主に突撃機動軍の第2方面軍特務中隊の指揮官として連邦軍の補給艦隊の航路を断つ任を得て作戦を行なう事が多かった。
少佐のR−2の使用時期は比較的短く、後に少佐本人は突撃機動軍付の本国要請でグラナダへ召換され、旗艦をザンジバル級のキマイラとする新鋭MS−14部隊の編成に参加している。
この部隊ではMS−14B、MS−14Cの両方に乗っており、実戦訓練空域を離れて全部隊をあげて、ア・バオア・クーの攻防へ参加したが、その後の消息は不明である。
MS−06R−2の残りの2機はア・バオア・クーとソロモンへ1機ずつ送られ、ギャビー=ハザード中佐、ロバート=ギリアム大佐が使用している。
指揮官クラスに使われるのを前提としたわけではないが、ロールアウトに頭部へすべて飾り棒をつけたのは、おそらくデザイナーの自己主張であったと思われる。