大阪教育大学秋葉英則先生に講演 [2005.6.18(土)] をお願いするにあたって
遺伝子の本体であるDNAは、互いの分子が、たとえば、一方が凹凹凸であれば他方は凸凸凹のように、相補的に向かい合う2本の長い鎖でできている。新しい細胞が誕生するとき、2本の鎖がほどけて1本ずつとなり、凹側の鎖を「手本」にして凸側の鎖ができ、一方凸側の鎖を「手本」にしたものは凹側の鎖をつくり、はじめにあった2本の鎖と全く同じものができるので、新しくできた細胞もそれまでのものと全く同じものができることになる。この仕組みのおかげで、たとえば、われわれの“顔”が、1年たっても2年たっても同じ“顔”であり続けることができる。つまり、DNAの情報伝達は、一方を「手本」として新しい他方ができ、他方に間違いがおこればはじめの一方が「手本」となって校正し、「親」DNAと全く同じ「子」DNAができることによって完結する。この情報伝達の仕組みを「半保存的複製」といい、同じことが生涯繰り返される。
この仕組みを社会に投影してみると、そこにも物事を正しく伝えるために、「半保存的複製」に相当するような、「手本」と「コピー」の関係が必要なものがある。それは、「生命の尊厳」をもとめる絶対的生命観(「人間が共通の祖先から進化したという認識のもとで、他者を自己の身体の外延と捉え、人間のいのちを単純なモノや数値に過度に抽象化することを拒否する価値観。意見の対立や相違を超えて生命を絶対視する」)を貫徹するときである。「絶対的生命観」を醸成することのできる貴重な財産に憲法と教育基本法がある。この財産をDNAの「半保存的複製」のように正確に伝え続けることがわれわれの責任であり、それを果たしてこそわれわれが現在に存在していることの証をたてたことになる。また、財産である憲法や教育基本法が全くそのままであっても、その読み方や運用の仕方も正確に伝えておかなければならない。
そこで、伝える側の責任が問われる。「子供は親の背中を見て育つ」というように、われわれが「親」となって後世を生きる人々にわれわれの考えと行動を見せなければならない。家庭で、学校や会社で、そして社会の中で。子供たちや若者はそのような大人の背中を日夜探しもとめているのである。曇天や雨天が続くような世の中でも、彼らは北極星をもとめ続けているのである。混沌としている社会や経済の中であるからこそ、たとえ小さくてもわれわれの背中を見せたいものだ。そこにはきっと北極星があるはずだ。それが現代を生きるものの社会的責任という背中なのだ。
見えない背中から見える背中へ、そして見せる背中へと、われわれがお互いに自己変革をしていく過程で、次世代を担う子供たちの未来を拓くことができる。科学的観念のなかで、確信と希望、そしてロマンをもって、相互交流のなかでお互いに成長し合いながら、貴重な財産を手渡していこうとする努力やプロセスの重要性を訴えながら、「生命の尊厳」をもとめて戦争のない未来を構築するのだ!
講演題目として、(たとえば):
育ちあいと子どもたちの未来 ――「おやじ」の背中 ――
syuasa(02/10/05)